四柱推命は、生まれた年月日時を旧暦に置き換えて四つの柱に例えて命式を算出し、その四つの柱の中の生日の柱を我が身とし、これを基準に年月時の干支の五行の作用(相生・相尅・大過・不及・旺・衰など)が、どのような働きをするかを見極めて運命を占います。
四柱推命の起源と歴史
四柱推命の起源は、古代中国の殷王朝(紀元前1400~1300年)の都であった殷墟(いんきょ)で使用された甲骨文と言われています。
これらの甲骨文には、たくさんの文字が刻まれており、「五行説」や十進法の周期を表す「十干」と十二進法の周期を表す「十二支」を組み合わせて作った「六十干支」を使用して月日を表していました。
その後、宋の時代(西暦960~1279年)に徐子平という占術師が淵海子平(えんかいしへい)という四柱推命の書物を著しました。
そして明の時代(西暦1368~1644年)に、明の軍師で政治家でもあった劉白温が敵天髄(てきてんずい)という書物を著しました。
日本には、江戸時代中期に中国から淵海子平が伝わり、文政年間(西暦1818~1831年)に仙台藩の儒学者桜田虎門が淵海子平を翻訳して、「推命書」という書物を執筆しました。
これが、日本における四柱推命の始まりと言われています。
五行説
五行説とは、古代中国の哲学で万物は、木、火、土、金、水の五つの元素から成り立つという考え方。
五行説には、「比和」と「相生」と「相尅」の考え方があります。
比和
比和とは、同じ性質の五行が結合して力を増すこと木と木、火と火、土と土、金と金、水と水が重なることです。
相生
相生とは、木は燃えて火を生じ、火は燃え尽き灰となり土を生じ、土は土の中で金を産生し、金は溶けて水に帰り、水は木を育てるというように木は火を、火は土を、土は金を、金は水を、水は木を生じるように、五行の内二つが助け合うという考え方です。
相尅
相尅とは、木は土の養分をとって成長し、土は水を堰き止め、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切り倒すというように、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に尅つ(勝つ)という考え方です。
干支
干支は、十干と十二支の組み合わせです。
十干は、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の10種類あります。
十二支は、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥 の12種類ありますが、
組み合わせにはルールがあります。
通名星(通変星)
通名星は、持って生まれた性質、性格、才能を表す星で、運勢を知ることが出来ます。
自分自身を表す日干から命式内の他の十干や波運に来る十干を見て、五行の比和、相生、相尅から導き出します。
通名星は、比肩、劫財、食神、傷官、偏財、正財、偏官、正官、偏印、印綬の10種類あります。